1949-08-13 第5回国会 参議院 地方行政委員会 閉会後第7号
(五)、矢郷労組の山本某が死亡したのは應援警察官が行つたからだ、署長は殺人幇助罪だから共犯の一人としてその責任を取れ、精神的にもその責任を負えと要求したが、市署長は責任を負うの限りで無しと要求を拒否したので、「狡い署長だ、相手になれない、公安委員を呼べ」というので公安委員会開催の連絡を取つたが、この間署長室の群衆は市署長に対し、「吉田内閣の犬だ、労働者の仇だ「八、九月頃になると我らの時代だ、そのときによい
(五)、矢郷労組の山本某が死亡したのは應援警察官が行つたからだ、署長は殺人幇助罪だから共犯の一人としてその責任を取れ、精神的にもその責任を負えと要求したが、市署長は責任を負うの限りで無しと要求を拒否したので、「狡い署長だ、相手になれない、公安委員を呼べ」というので公安委員会開催の連絡を取つたが、この間署長室の群衆は市署長に対し、「吉田内閣の犬だ、労働者の仇だ「八、九月頃になると我らの時代だ、そのときによい
組んで警察官が署内に入ろうとするのを妨害するような行為に出て、また代表として私と交渉中の委員のうち、内郷町出身の松木佐吉あるいは熊田というような委員らは、なぜ内郷町の警察などを平市に應援によこすのか、帰してやれというような話になりまして、そこで何か警察側と共産党側の間に事態が混乱に入るような空氣がありましたので、私といたしましては、この場合一應円満にやるべきでないかというような考えをもちまして、應援警察官
えましたので、一應縣内の浜通り地区の警察官約二百名ばかりの應援を得て、警戒のうちに撤去しようという考えを持ちましたが、三十日の朝になつて福島、郡山、あるいは若松方面にも、共産党員の指導によると思われるような、警察の警備を必要とする事態が起りつつあるような情報がありましたので、平市においてさらにまた警察官の集結をしておるという問題はなるべく避けた方がいいのでないかというような考えを持ちましたので、二十九日に應援警察官
仙台駅から仙台管区各学校生徒約百名を向けたのでありますが、仙台駅で出発の際すでに應援警察官が暴行を受けたということからいたしまして、そういうふうにうかがわれる状況にあります。
特に今度の福島縣の問題にしても、その他の問題にしても、ちやんと事前に應援警察官がどの程度、どこからどう来るというようなことも、具体的にわかしてしまつて、その対策が講じられてしまつておるということをいわれております。
国家地方警察本部におきましては、昨夜係官を現地に特派いたし諸般の連絡に当らせると共に、大阪管区本部長をして、管下の各府縣より動員した應援警察官約八百名を罹災地に急派し、治安の万全を期しております。被害地たる福井、石州両懸におきましては直ちに救助対策本部を設け、災害救助法に基く災害救助隊を動員し救助活動に当らせると共に、隣接府縣に救助應援を依頼いたしております。